オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.072
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大司教一派を救った1頭の牡牛
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ホーエン・ザルツブルク城
ホーエン・ザルツブルク城

今日のお話しは「ザルツブルクの牡牛」です。この名前を聞いてパイプオルガンを思い浮かべた人はちょっとザルツブルク通ですね。ホーエン・ザルツブルク城の中には1502年に作られた古くて大きなパイプオルガンがあって、今でも「ザルツブルクの牡牛」という名で親しまれています。しかし、私がここでご紹介するのはもっとバカバカしい牛のことですよ。

オーストリアには、「ザルツブルクの牡牛」という民族舞踊曲があります。オーストリア人のK君にもらったカセットテープがあったので、このメロディーをもとにその曲のmidi(伴奏なしで20秒程度のカンタンなもの)を作ってみました。下のスタートボタンを押すと聞けます。なんだかのんびりしてのどかな曲ですよ。しかし、この曲の牡牛の登場した場面は、それほどのんきなことも言ってられない状況でした。



ある日ザルツブルク大司教は誰かと戦争になりました。相手は分かりません。現地で買ったザルツブルク年代記を調べても、インターネットでオーストリアのサイト調べても全然書いてないし、K君も知らないと言ってます。でも、とにかく戦争をすることはしたらしく、ついでにザルツブルク大司教は敵方に城を囲まれて、兵糧攻めに遭うハメとなりました。

それから何日かして、城の中はホントに食料が尽きてきました。最後に残ったのは1頭の牡牛だけです。これを食べたら、もう降参しかありません。さあ困りました。

すると城内のある知恵者が、ひとつの策を計じました。それは、1頭だけしかいない牡牛に毎日好き勝手な色を塗って違う牛に見せ、城を囲む敵に食料がまだあるフリをしようという作戦です。こうして敵兵たちは来る日も来る日も上の絵にあるホーエン・ザルツブルク城でのっそり歩く人口色の牛を見せつけられました。で、いい加減飽きてきたころに援軍がきて敵は退散し、これでめでたしめでたしとなって、のちに「ザルツブルクの牡牛」という曲ができたのだそうです。

しかしよく考えると、こんなことでペテンにかけらた敵って、相当なアホですよ。いったい誰なんでしょう、そのマヌケは?ザルツブルクの城が囲まれそうなことといえば、ローマ教皇とドイツ系の皇帝がケンカしたとき(19世紀初頭までザルツブルクはオーストリア領じゃなくローマ教皇領でした)、農民の一揆があったとき、カトリックとプロテスタントがケンカしたとき、そしてナポレオンと組んだバイエルンが攻めてきたときの4つしか考えられません。で、農民がインチキ牛に騙されることはなさそうだし、バイエルン軍がきたときは大司教があっさり無血開城してますから、残るは皇帝軍かプロテスタント軍ですね。この伝説が文献に全然出てこないのは、その人たちが恥晒しになっては可哀想という思いやりの表れなんでしょうか?そっれとも、やっぱり嘘八百の伝説?どっちにしてもオーストリアらしいお話しです。


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