オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.062
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懐の深かった女帝 マリア・テレジア
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マリア。テレジア

オーストリアには「マリア・テレジア」という名を冠したホテルや列車などがたくさんあります。以前私が旅行したときなど、ザルツブルクで泊まったホテルは「マリア・テレジア小城」、そこからチロルに行くのに乗った列車の名は「マリア・テレジア急行」、インスブルックで止まった宿は「ホテル・マリア・テレジア」、そしてそのホテルのある通りは「マリア・テレジア通り」という具合でした。凄い人気ぶりですね。

マリア・テレジアはオーストリアの歴史でたった1人の女帝です。本人は「女帝」というよりも、「国母」というふうに自分を位置付けていましたが。で、その治世はというと、のちの人々が賞賛するのは当然と思えるほど見事なものでした。

たとえばこの人、ウィーンの南に約50kmのヴィーナーノイシュタットに、一般市民や農民の子供が貴族の子弟と机を並べる陸軍兵学校を創設しました。これによって平民出身の兵士にも士官になる道が開けました。また、彼女は軍隊内の鞭打ちの刑を廃止して兵士が上官を恐れたりしないようにし、ついでに「兵士を殴った将校や指揮官はクビ!」という勅書まで出していますよ。おかげで人材の層は厚くなり、上官と兵士の仲も昔よりよくなって軍隊の士気が上がってきたそうです。勇ましいばかりが士気じゃないんですね。

宮廷での人材登用でも、身分がどうの保守派か改革派かなどということにはさほどこだわりませんでした。それが端的に現れたのは、シュレジエンの下級貴族・ハクヴィッツ伯爵の登用です。この人は女帝の父カール6世に仕えていたとき、マリア・テレジアの結婚の相手に国益重視でプロイセンのフリードリヒ2世を推していました。しかしマリア・テレジアはフリードリヒ2世が大嫌い。最初に候補に挙がっていたロートリンゲン公フランツ・シュテファンに惚れていて、結局こちらと結婚しました。おかげで「こりゃもう罷免かな?」と思ったハクヴィッツ伯爵はマリア・テレジアに「覚悟はできてます。」と言いました。するとマリア・テレジアはにっこりと笑って「何それ?あなたは才能があるのだから、まだまだ宮廷で働いてもらいますよ」と答えたんだそうです。

一方、勇ましく出るべきところではしっかり勇ましく出る場面も。たとえば天敵プロイセンの急襲でシュレジエンの地を奪われると、和平を説く宮廷保守派の意見をさえぎってロシアのエカテリーナ女帝とフランスのポンパドール夫人を誘い、逆にプロイセンの包囲網を形成。これでフリードリヒ2世にきつーいお灸をすえてあげました。

もっとも、どんな人にも弱点というものはあります。マリア・テレジアの場合は、男女の仲に関する過剰な潔癖さがヘンな行動になって表れていますよ。それは取り締まりの厳しい「風紀委員会」の発足です。この委員会は、女性のスカートは長くして体の線が現れないようにしなさいとか、駆け落ちは厳禁とかと発布し、これに違反する者がいたら密告すべしと市民に呼びかけています。いちばん厳しい処分の対象になったのは、浮気をした人です。男性を罰するだけではなく、相手の女性も丸坊主にして晒し者という刑になりました。軍隊で禁止されたはずの鞭打ちの刑も浮気した人には遠慮なく実施。なんか凄い気迫ですね。

マリア・テレジアがやや無茶ともいえる風紀の取り締まりをしたのは、夫フランツ・シュテファンに対する愛情の裏返しという部分がかなりあったように思います。この優男、実はけっこう美男子で、その気になればプレイボーイになれそうな人でしたから。事実、色目を使ってフランツ・シュテファンに近づこうとする女官はよくいて、女帝からバシバシと罷免されていました。そんなこともあってマリア・テレジアは警戒心を強くもち、浮気した市民を厳しく罰して見せしめとすることで、無意識のうちにフランツ・シュテファンを牽制していたと見ることもできそうです。

なお、フランツ・シュテファンの素行ですが、女帝の恐ろしい威嚇にもかかわらず、1度だけ別な女性とデキてしましました。しかもこの1回きりで子供まで生まれています。おかげでウィーンの人々から「Das ist nur einmal.(たった一度だけなのに)」なんていう流行語を面白おかしく作られて、なんだかブザマなことに。マリア・テレジアは参ったことと思いますが、フランツ・シュテファンも相当頭を抱えたことでしょう。どんなお怒りがくるかわかったもんじゃありませんから。ところが意外なことに、マリア・テレジアは大きな心をもってこの件をお咎めなしにしました。大ドンデン返しです。そしてそれからフランツ・シュテファンは二度と浮気をしませんでした。厳しい罰よりも寛大な心が浮気の防止に役立ったとは、なんだか逆説的ですね。

「厳しさよりも寛大さ」ということは誰もが認めるところでしょう。しかし、本当に「寛大になる」ということは、思うほど生易しいことではありません。相手に対する「信頼」と自分への「自信」が両方揃わないとできないことですから。むしろ、できなくて当然で、できた人は相当偉いと見たほうがいいでしょう。となれば、途中で紆余曲折がありながらも最後にそれをやってのけたマリア・テレジアは、やっぱり偉大な女性ですね。


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