オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.056
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ウィーンにスコットランドの教会?
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ショッテン教会
ショッテン教会(ウィーン)

ウィーンには「ショッテン教会」というベネディクト派の古い教会があります。そして、ショッテン(Schotten)とはドイツ語でスコットランド人という意味。で、よく考えるとこれ、ちょっと不思議じゃありませんか?オーストリアにはアイルランド系の修道士ならいましたけど、スコットランドから坊さんの一団が来たという話しは聞いたことがありませんよ。そこでひとつ調べてみたら、面白いことがわかりました。

スコットランドはラテン語「スコッティア(scottia)」といいます。ドイツ語のショッテンということばもここから派生しました。が、中世の地図にはもうひとつのスコットランドが存在しています。それは「スコッティア ミノリス(scottia minoris=小スコットランド)」と呼ばれるところで、今の名前は「アイルランド」。そう、ウィーンのショッテン教会にいたスコットランド人とは、この「小スコットランド」の修道士たちだったのです。

この時代、アイルランドの修道士たちは、ドイツの各地を始め、遠くは今のウクライナ共和国のキエフにまで修道院を作っていました。なんでも、6〜7世紀頃、ローマが異教徒の襲撃でボロボロとなったあとにラテン語やキリスト教文化を受け継いだのが、アイルランドの修道士だっだそうです。また、当時の欧州の公式文書はラテン語で書かれていたため、このことばができるアイルランドの修道士たちは、各地の支配階級にとって貴重な存在だったといいます。

オーストリアではバーベンベルク家のハインリヒ2世が、自分の元のご領地だった独レーゲンスブルクにあるヤーコプ修道院からアイルランド人修道士を呼び寄せ、1155年にショッテン教会の建設を始めました。その後、ハインリヒ2世はこの教会にオーストリア人修道士の受け入れを求めますが、アイルランドの修道士たちは「イヤ!」と言ってキレ、引き上げていっちゃいました。それで、ウィーンの西80kmほどの町・メルクの修道院から、オーストリア人のベネディクト派修道士たちがウィーンのショッテン教会にやってきます。こうして、アイルランド人がいなくなった今日、「ショッテン」という名前だけがおみやげとして残りました。

ついでながら、ローマからすごく離れたところにあるアイルランドの人たちがキリスト教文化の大きな担い手となったのには、それなりの理由がありました。1つはこの国がローマ軍の侵略を受けなかったこと。もう1つは人々がキリスト教の思想の理想的な部分と文芸を気に入って、これを早くからケルト風にアレンジ(あるいは消化)できたことです。だから、432年に渡来してきた聖パトリック(キリスト教そのものはもっと前から伝わってます)にもたいそう寛大で、特にこれといったいざこざもなく旧ケルト宗教からキリスト教への改宗が進んでゆきました。もちろん、殉教者もなしです。ちょうど仏教が伝わった頃の日本みたいですね。このように万事メチャクチャ平和だったおかげで、アイルランド人たちはじっくりとキリスト教の学問に励むことができ、これがのちに欧州各地で活躍する糧となりました。今の北アイルランドの紛争などを見ると想像もできないことですが。やっぱり血の気は少ないほうがいいですね。


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