オーストリア散策エピソードNo.051-100 > No.052
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「シュヴェイク」の続きを書くチェコの人々
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善良なる兵士シュヴェイク

今日はちょっと寄り道をして、オーストリア・ハンガリー時代の直後にチェコで書かれた本のことを書きましょう。チェコ出身といえばフランツ・カフカなどが有名ですが、小話し中心の「オーストリア散策」の趣旨からいうと、愉快なヤロスラフ・ハシェク(1882-1923)あたりがよさそうですね。

ハシェクの代表作といえば、なんと言っても上の写真にある「善良なる兵士シュヴェイク」でしょう。内容としてはオーストリアをおちょくったものなのですが、なんだかとぼけたところがあって憎めません。主人公のシュヴェイクという人は日本でいうなら元ドリフターズの加藤茶みたいなキャラクターです。命令に対して忠実なのはいいのですが、上官のルカーシ中尉に「犬がほしい」と言われて天真爛漫に将軍の犬を盗んできたりするところは笑わせてくれます。国や軍に忠誠を尽くせば尽くすほどロクでもない結果を巻き起こすところは、まさにあっぱれですね。しかもシュヴェイクのスタンスは皮肉にも「ハプスブルク家万歳!」。おかげで同胞のチェコ人には変人扱いされてますが、むしろ迷惑なのはドジな味方のできたオーストリアのほうでしょう。

それからこのシュヴェイク、本の表紙の絵を見ると、弾丸や大砲の弾が飛び交う中でのんきにたばこなど吹かしていますね。とてもマヌケに見えます。そして、オーストリア・ハンガリー帝国には、こうした状況で本当に平然と立っている御仁がいました。それは、皇帝フランツ・ヨーゼフです。まさか、皇帝をからかうためにこういう表紙を作ったんじゃないでしょうね。

この本の中でオーストリアがボロカスに書かれている背景には、ボヘミアがオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあったことへの不満があります。ただ、チェコの人々がみんなで完全に独立を求めていたかといえば、そうでもありません。特にインテリ層の間では、オーストリア・ハンガリー・ボヘミア三重帝国を希望する意見が多かったようです。しかし、これを認めるとクロアチアやスロヴェニアなども同じ権利を求めてきて、最後には4重帝国にも5重帝国にもなり兼ねないので、ハプスブルク家はどうしようもないというのが実情でした。こうして考えると、帝政末期のオーストリアはシュヴェイクの本以上に冗談に満ちた国だったんですね。

ところで、兵士シュヴェイクの本に出てくる軍隊の中でいちばん救い難いのはハンガリーの兵士たちですが、これは2重帝国の片棒を担ぎがボヘミアじゃなくハンガリーに回ったことへの嫉妬ですね。しかし、ハシェクはボヘミアならなんでも正しくてオーストリアやハンガリーはすべて間違っているという行き過ぎた感覚はもっていないようです。おかげでこの本に登場するチェコ側の軍人も変な人ばかりに。このへん、なかなかバランス感覚がありますね。極めつけはドゥプ少尉です。この人の口癖は「お前はまだこの私を知らない。お前が本当の私を知った暁には...!」といういセリフ。なんだか、マンガの「花の応援団」に出てくる薬痴寺が「役者やのー!」と言って無茶をするときとすごく雰囲気が似ています。この作品に出てくる人物の中でいちばんまともなのはシュヴェイクの上官であるルカーシ中尉でしょうか。女性の持ち物をコレクションするフェチ趣味以外はすべて正常ですから。さらに、ルカーシ中尉は「もしかしたらシュヴェイクは賢いのでは?」ということにも気付いてますよ。戦争という非常事態の中で多くの人がいろいろな生き残り術を策す中、敢えて馬鹿正直という道を進んだシュヴェイクは結局セーフだったわけですから。

なお、この本を書いたハシェクという人は第一次世界大戦中オーストリア軍を脱走してロシア軍に加わり、戦後は独立したチェコ共和国に帰国しています。で、「オーストリア・ハンガリー帝国の白痴的精神に汚染された祖国よ再び立ち上がれ!」と思うも、失業で生活は苦しかったといいます。そしてある日、ロシアから連れてきた妻シェールのことで兵隊たちと喧嘩。これで「兵士シュヴェイク」の出版を決意したそうですよ。だからアホな軍人を作品に「たくさん登場させたんですね。しかし健康を損ねたことがもとで1923年に亡くなり、「シュヴェイク」は未完成に終わってしまいました。ただ、「兵士シュヴェイク」が後の世でも末永く愛されたことら明らかなように、彼の筆がチェコの人々を元気付けたことは事実です。

私は「兵士シュヴェイク」が未完成に終わったことを、むしろちょっと詩的でいいな、と思っています。続きは紙の上ではなく、のちのチェコの人々が現実の世界で作ってゆけばよいのですから。ハシェクの亡きあとチェコはドイツやロシアに蹂躙されながらも、立派にやっていったと思います。共産主義国家から民主国家になるときはルーマニアのような流血なしでこれを達成、スロヴァキアの独立も説得がムリとわかれば静かに容認。さらに、第2次世界大戦から約50年後、敗戦国のドイツに対してズデーデン地方にいたドイツ系住民への迫害を公式謝罪したところを見るにつけ、この国は「シュヴェイク」のお話しをすばらしい形で歴史に刻み続けていると思いました。チェコ共和国の発展を心から祈りたいですね。




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