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プラハのリブシェ王妃の伝説
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リブシェ王妃
リブシェ王妃(7世紀)

今日はちょっと寄り道してチェコのお話しにします。この国はオーストリアの歴史や文化だけでなく、人々の生活にも大きな影響を及ぼした国ですから。たとえば、ウィーン音楽の代表とされる「シュランメルン」は、もともとボヘミア出身の音楽団の名前でした。また、オーストリアの主食として代表的なクネーデル(パンと小麦粉のダンゴ)は、ボヘミアの料理女たちがウィーンに持ち込んだものだったんですよ。

チェコはその昔「ボヘミア王国」といいました。伝説によると、そのボヘミア王国が出来る前の7世紀頃、この国では国王・クロクの三女・リブシェが女王の座に就いていたといいます。長女のカジは病の治療に長けた女性で、次女のテタは信仰心が厚く、この2人も大変尊敬されていたのですが、リブシェは美人で冷静で、かつ不思議な予言能力を持っていたことで民衆の心を最も惹きつけていました。

王位についたリブシェは人々に、「森の奥で1人の男が家の敷居を作っています。その男とともに大きな城を作りなさい。」といいました。こうすれば、どんなに高位の人でもその城に入るとき敷居の前で頭を下げざるを得ないというのです。なかなか洒落ていますね。ちなみに、「敷居」はチェコ語でプラーフといい、これが今のプラハという地名の語源になりました。そしてプラハの町はリブシェの予言通り繁栄し、また、聡明な彼女はボヘミアの部族を統一も進めてゆきながら、さらに善政を続けていったといいます。

ところが、ある日リブシェの王位に異論を唱える者が現われました。彼女の裁きで厳しい判決を受けた2人の貴族が、「髪の長い女は気が短い。それに、本来女は家事に精を出すものだ。」と言ったのです。しかも、そこにいた者は誰1人としてその暴言を諌めません。が、リブシェはそんなことばに反発などせず、さっそく2人の姉と3日にわたって今後を相談しました。そして部族の代表を集め、「鉄の統治(つまり男の統治)がお望みなら、私は王位を降ります。私の白い馬があなたたちをプシェミスルという男のところに案内するでしょう。私はその男を自分の夫とし、この国の王に就けます。行って彼にそう伝えなさい。」と言いました。

使者が白馬を追ってその村に着くと、プシェミスルはちょうど2頭の牛で畑を耕しているところでした。使者が伝令を伝えるとプシェミスルは、「畑ができる前に来るとはちょっと早かったようです。おかげでこの国はしばしば飢饉に襲われることになるでしょう。また、私が王となるからには戦いの心得ももつように。」と言いました。そういえば、このプシェミスルという男もけっこう知恵者みたいですよ。彼はプラハの城に入るとき、菩提樹の皮で作った自分のカバンとサンダルを持ち込んで、それをずっと保存させたのだそうです。なんでも、自分が元々低い身分の者だったことを子孫に忘れさせないためなのだとか。

さて、リブシェが王位を降りたあとのボヘミアはどうなったでしょう?後に続いた王たちも、それなりには国を治めていたようです。しかし、自然がもたらす飢饉や人々が選んだ鉄の統治がもたらす他国との争いはどうしようもありません。国民の頭には、思わずリブシェの伝説が甦ってきたことでしょう。そして「畑を耕し終わる前にプシェミスルを村から連れて来たのはまずかった」とか「母性の統治から父性の統治に変えたのは失敗だった」という後悔の中で、数百年にわたりハプスブルク家の支配を受けることになりました。これに堪りかねたスメタナが「リブシェ」という曲を作ったのもハプスブルク時代でしたね。

その後ですが、第1次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗戦を迎えたとき、ボヘミアの一部の人々は、戦前のハンガリーと同じようにオーストリアと対等な立場での連邦国家形成を望んでいました。しかし、反オーストリアの感情に駆られた大多数の国民はこれを拒否、こうして生まれた小国チェコスロヴァキア共和国は間もなくソ連の傘下に陥り、もっと過酷な時代を迎えることになりました。チェコの人々には異論もあるでしょうが、私としては、当時の情勢なら独立派よりも連邦派の人の方が正しかったと思います。リブシェ王妃の言う「争いと縁のない国」を作るには、もはや支配力のなくなったオーストリアやハンガリーと力を合わせたほうが安全だったし、国力が不足している段階で完全独立を急いだところは、畑の耕作を終える前にプシェミスルを王位に就けたことと重なりますから。

しかし、90年代のチェコは一転してリブシェ王妃の教えを立派に生かしていますね。ハヴェル大統領が第2次世界大戦後のドイツ系住民に与えたチェコ政府の仕打ちについて正式にドイツに謝罪するという、戦勝国としては異例のことをやってのけましたから。過去の歴史を考えると、チェコの人々がドイツに大きな反感を抱くのは当然のことでしょう。しかし、それを乗り越えてドイツとの友好的な未来を築くことを選んだ今のチェコには、争いを避けて平和な国作りに誇りを抱いた伝説のリブシェ王妃に合い通じるところがあります。この国の未来はそう悲観したものじゃなでしょう。ドイツだけではなく、第三国からも信頼が寄せられてゆくと思いますよ。

P.S. 過去の歴史に固執しすぎてドイツを責めるばかりのポーランドのほうは心配ですね。憎しみを風化させない努力が、国民の未来に逆効果を生み続けているようですが。また、旧チェコスロバキアから分離独立したスロバキア(チェコ対スロバキアの感情は日本の関東対関西みたいです)の将来もちょっと心配です。チェコ政府は準備不足だと説得を試みたのですが、スロバキアの人々は民族意識に駆られて最後まで独立を主張。チェコ側はあきらめて静かにそれを認めました。その後、スロバキアアでは失業率20%以上という記事が出ています。


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