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ウィーンで貴族にされたトロツキー
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トロツキー
レオ=トロツキー (1879-1940)

アメリカの作家であるW・キション氏の著書に「ウィーン肩書き狂想曲」という本があります。この本によると、「ウィーンでは誰もが宮中顧問官○○博士などとと呼ばれ、本物の博士には宮中顧問官大学教授ドクタードクターぐらいつけて呼ばないと相手が気を悪くする」といいます。上げ底の肩書きは、この国で人に接するとき絶対に忘れてはならないたしなみなのだとか。どこまで本当なんでしょうか。

キション氏の表現には多少大袈裟な創作もあると思いますが、どうやら根本的なところは正しいようですよ。私がザルツブルクに留学していた頃、下宿の近くに「○○伯爵夫人のペンション」というのがありました。で、下宿のおばあさんに「貴族制はなくなったはずじゃないの?」と訊いたら、「公式文書に貴族の称号を使うことはできないけど、プライベートならOKですよ。」とのことでした。それにしても、そのペンションの「伯爵夫人」の文字の大きいことといったら!また、ザルツブルクの大聖堂広場の近くの眼鏡屋さんにもこっそりと「○○博士号の眼鏡屋」という看板が出ていました。

オーストリアには「宮廷歌手」という称号もあるそうです。ハプスブルクの宮廷はとっくになくなったのに、この称号は今でもせっせと発行されているのだとか。もっとすごいところでは、町のクリーニング屋の中に「宮中洗濯顧問官」なんていう看板を掲げているところもあるといいます。これはオーストリア人の友人から直接聞いた話しです。また、オーストリアのテレビを見ていると、学位をもった人の名が字幕で出るときは必ず「博士」とか「修士」とか「技師」という肩書きが堂々と添えてあります。さらに、聞くところによるとこの国では博士号をもつ男性と結婚した女性をドサクサに紛れてついでに「○○博士」と呼ぶことがあるそうです。これを学歴の相続というのだとか。面白い習慣ですね。

キション氏によると、こうした肩書きが溢れているおかげでオーストリア国民は実力をさほど気にすることはなく、能力第一を前提とするアメリカ人よりも幸せそうだとのことです。確かに、意味のない肩書きじゃ誰も傷つけませんから、悪い習わしとは言えませんね。

しかし、こうした習慣はいつから始まったんでしょう?歴史の本を開いてみますと、19世紀末のウィーンのカフェーでは、すでに肩書き好きの趣向が全開になっていますよ。場所はウィーン名物のカフェーハウスでした。ここでは、給仕がお客に爵位の称号をつけることが日常茶飯事だったそうです。駆け出しの書生は「博士」、ジャーナリストや売れない作家は「教授」、ただのおじさんなら「男爵」という具合で、貴族を匂わせる「von」( 英語のSirに相当します)を忘れずにつける始末でした。

もちろん、お客も気前よく給仕(Kellner/ケルナー)を給仕長(Herr Ober/ヘア オーバー)と、上げ底で呼びました。本来ならコービーを運ぶのが給仕、勘定をもらうのが給仕長で、その身分の差は大きいのですが。そういえば、現在のオーストリアでもお客は給仕を呼ぶとき「Herr Ober!」と言ってますね。また、今のオーストリアで女性の給仕のことは「フロイライン」と呼びます。これは「お嬢様」という意味で、どんなに年をとっていても「おばさん」なんて呼んじゃいけないんですよ。若さは女性に対する最高のお世辞というわけですね。ただ、さすがにおばあさんのウェートレスのときに「フロイライン」はあんまりかと思います。こういうときは「マダム」とでも呼んであげたらいいんでしょうか?

さて、こうしたオーストリアの習慣をネタに、ひとつ愉快な逸話が残っています。それは、革命家のトロツキー(1879-1940)がロシアからにウィーンに来て久々にカフェ・ツェントラールを訪れたときの話しです。トロツキーを見て、給仕長は元気に「これはこれはフォン トロツキー様、例のミルクの多いコーヒーと新自由新聞ですね!」と叫びました。貴族打倒を唱える農民出身の共産主義者・トロツキーも、ウィーンのカフェーハウスでは丁重かつ強引に「フォン」の称号を授けられ、貴族の一味に加えられてしまいました。たぶん作り話しだとは思うのですが、オーストリアらしいもてなしですね。


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