オーストリア散策エピソードNo.001-050 > No.022
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ウィーンのワルツ革命、フランス革命を凌ぐ!
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ウィンナーワルツ


フランス革命の起こった頃、オーストリアは自国に革命が輸出されることにとても神経質となっていました。ところが政治的なことに無関心なオーストリア人はフランスから全く別なものを輸入します。それは、ダンス熱でした。

パリでは革命のあと意味不明なダンス熱が起こって、メヌエットがっ盛んに踊られたといいます。血なまぐさい暴動騒ぎをやったわりにはおとなしい趣向ですね。これに対してウィーンの人々は18世紀いっぱいでメヌエットを忘れてしまいました。ウィーン会議の頃ある国王主催の舞踏会でメヌエットが求められたとき、これを知っていたのはギャルド・シャンボーナ伯爵1人という始末だったとか。そしてウィーンの人々のダンス熱が向けられた先は、当時急速ない勢いで流行し始めていた「ワルツ」でした。

ワルツの流行の原因は、その狂おしいリズムにあったといえるでしょう。これはダンスというよりもスポーツですよ。そして忘れてならないのは、この踊りが、それまでの伝統的な踊りと違って相手に体を密着させるということです。要するに、恋が生まれ易かったわけで。考えてもみましょう、ウィンナーワルツが流行する前は誰の時代だったかを。それは、良妻賢母の鏡と謳われたマリア・テレジアの治世の直後でした。マリア・テレジアは家庭を大切にするようにとの気配りから国民の浮気には容赦ない罰を与えたのですが、これが副作用として人々からまっとうな恋の機会まで奪ってしまいました。女の子が夜遅く外出したり、道で男性に声をかけただけで頭を坊主にされて道路掃除なんていう刑罰ができたくらいですから。

人々の恋に春をもたらした「ワルツ」。なにかの本に当時のことをさして、「ウィンナーワルツのダンスホールではいつも人々の雑踏の中で明るい声が飛び交い、女の子が元気に男性の手を引いたりする光景も見られた」という記述がありました。女性がお目当ての男性を選べることって、この時代としてはすごく進んだことでした。おかげで当時この国を訪れた外国人は旅のメモに驚きのことばを残すことになります。「ウィーンの女の子は、親が結婚相手を決める前に自分で恋人を作ってしまう」と。ちなみに、オーストリアのバル(舞踏会)は、今でもこの国の人々にとって重要なお見合いの場であり続けているそうですよ。

ところで、ウィンナーワルツにはほかにも大きな特徴があります。それは、これだけ華やかなのに、実は民衆文化だということです。ワルツのメロディーの起源はチロルなどの農民舞踊である「レントラー」にあるといわれ、そのモードは絶えず民衆の間から発展してゆきました。そして、民衆の集まるダンスホールに貴族が出入りするという現象がごく普通のこととして起こっていたのです。ウィーン会議の頃をテーマにした映画で、どこかの皇太子とウィーンの町娘の恋の場面とかあったでしょ。これ、前世紀に流行していた「ガボット」や「メヌエット」が王侯貴族の世界から広まったのとは対照的ですね。また、踊る2人の距離が近いということも、民衆舞踊から生まれたことと無縁ではないと思います。

そしてワルツがもつもうひとつの特徴、それは舞踏館が常に豪華さを競い合ったということです。当時のオーストリアの民衆の暮らしは決して楽ではありませんでした。しかし、その人々が集まった名高いダンスホールの数々は、いずれも貴族の館顔負けの贅を尽くしたものでした。日々の苦しい暮らしを忘れて夢の世界をひととき味わうというのは、この時代の人々にとって相当有難いことだったのでしょうね。

最後にもうひとつ、ウィーンのワルツには珍しい特徴があります。それは、いかに人々が踊りに陶酔しようが、恋にうつつをぬかそうが、決して誰も品位を失ったりハメをはずしたりしなかったということです。豪華さを競うダンスホールの主もまた、決して成金趣味に陥ることはなく、どこか上品な装飾や演出を忘れませんでした。ウィンナーワルツとは、グラス1杯の高品質なワインみたいだったんですね。

さて、そろそろまとめに入りましょう。「ウィンナーワルツ」とはなんでしょうか?私はこれを、「オーストリア流の革命」だったと思っています。フランス革命のように歴史に名は残っていないけれど、人々の心にはむしろウィーンの「ワルツ」のほうが大きな自由を与えたと思っているからです。ワルツのおかげでどれだけの女の子が親に結婚相手を決められずに済んだことか。ワルツのもたらす興奮がどれだけ人々の心を快活にしたか。ワルツのホールの豪華な装飾がどっれだけ人々に夢を与えたか。そして、ワルツは王侯貴族と平民の距離をどれだけ縮めたか。フランスの人々が武器を使ってもなし得なかったことを、ウィーンの人々は優雅に音楽と踊りでやってのけました。「ワルツ革命」、侮るべからずですよ。


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