オーストリア散策エピソードNo.001-050 > No.021
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誇り高き名門乞食の豪華な披露宴
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18世紀のある日、パウエレルという男が父とともに、ウィーン郊外のペンツィングにあるレストランにゆきました。するとそこでは燈火が赤々と照り、楽団は派手な音楽を撒き散らすわ、人々は陽気に騒ぐわで、いつになくすごい賑わいではありませんか。何の騒ぎかと驚いたパウエレルの父は、思わずレストランの主人に「これはいったい誰の宴会ですか?」と聞きました。すると主人は涼しい顔で答えます。「これはウィーンの名門乞食、ドゥッケルル家の方々の結婚披露宴でございます。」

花嫁の父であるドゥッケルルはシュタインブリュッケの界隈で一定の稼ぎをもち、母親は王宮の門のそばで物乞いをする人でした。その商売は繁盛し、2人は悠々とした生活を送れるだけでなく、毎年数百フローリンの貯金さえもできたといいます。そこで娘に数千フローリンの持参金を持たせて、この豪華な結婚披露宴を行う運びになりました。ただこの両親、ウィーンではあまりにも顔が売れていたので、市内の人々を驚かせては気の毒と思い、わざわざ四輪馬車でペンツィングに乗り付けてきたといいます。

パウエレルの父はこの話に興味感じ、もっと質問をします。「若夫婦の仕事も、名誉ある乞食なのですか?」レストランの主人は答えました。「それはちょっと違いまして。花嫁は通りに落ちているゴミくずを拾っているのですが、その中には間違えて捨てられた金貨や銀のスプーン、さらに時には宝石などもございます。おかげで、とてもゆとりのある生活をなさっておいでです。一方、花婿は台所のゴミから拾い出した骨を集めてボタン製造業者に売っていらっしゃいます。もちろん、これもまた立派な稼ぎでして。本当に、どんなご職業も軽く見たりはできないものでございますね。」

ライスクルという人の著書によると、このドゥッケルルとその妻は、本当に存在した乞食のようです。そして彼らは多くの人々尊敬されていた、上流階級の乞食だったそうな。これに対して下層階級の乞食というのは自分のケガをこれ見よがしに人目にさらして通行人の慈悲を仰いだり、地面の穴に両足をかくして這いつくばりながら哀れな声を振り絞ってみたり、馬車のドアに駆け寄って何かもらうまで動かないなど、品位もプライドもない行動に出ていたといいます。

しかし、上品に誇り高く乞食をして高い収益を得るって、どういう物乞いの仕方だったのでしょう。私も個人的に大変興味があります。が、残念なことに、わざわざオーストリアから取り寄せた「Oesterreich Lexikon(全2巻、計1,500ページ)」にもインターネット情報にも、この偉大な乞食に関する資料はありませんでした。唯一の手掛かりは、18世紀のウィーンのユーモア作家であるシルドバッハが富豪乞食を題材に書いた芝居「百万長者」です。この芝居は、モーツァルトのオペラ「魔笛」の台本作家だったシカネーダーの劇場で大当たりし、通算で1,000日のロングランを記録したといいます。そして、この芝居の最大の見せ場は、冒頭のパウエレル親子が目にしたのと同じく郊外のレストランで上流乞食が結婚祝いをするところです。たぶん、この芝居を見れば、ドゥケルルとその妻がどのように誇り高く乞食をしていたのかも垣間見られると思うのですが。


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