オーストリア散策エピソードNo.001-050 > No.015
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ウィーンにはびこった恐怖の交通機関
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フィアカー
フィアカー(19世紀、ウィーン)

ウィーンの町を歩いていると、よく観光客を乗せた2頭立ての馬車を見かけます。これはフィアカーと呼ばれる馬車で、そのゆったりと走る様はノスタルジックなウィーンの町と本当によくマッチしています。ところが、ウィーンの民謡に歌われるフィアカーはちょっと趣きが違いますよ。下に記したウィーン弁丸出しの歌をご覧下さい。


I hab' zwa harbe Rappen,
mein Zeug does steht am Grab'n,
a so wie doe zwa trappen,
wern's net viel g'sehen hab'n.

a Petschen, a des gibt's net,
ui jessas nur net achlag'n,
das allereraegste is' tsch'tsch,
sonst 'reikens glei' in Wag'n.

荒いよあっしのウマたちゃあ、
馬車ならそこの堀の脇。
こいつら2頭の駆けっぷりゃ、
そんじょそこらじゃ拝めんさ。

鞭当てるなどありゃせんよ、
おいやめときな、打つじゃない、
合図はチップで十分よ、
さもなきゃ馬車が吹っ飛ぶぞ。



フィアカーとは今のタクシーに相当する乗り物です。その名前の由来については、パリの辻馬車の客待ちの場所がサン・フィアクル通りだったという説のほか、その地で最初の辻馬車手配業を営んだ宿がサン・フィアクルという名だったためとか、その宿屋に聖フィアクルの絵があったためなどと、諸説紛々です。ウィーンで最初のフィアカーの営業免許が出されたのは1693年でした。これが1848年になると、680台にもなっていたそうです。当時の御者は陽気な暴走をモットーとしていて、ときには馬車だけじゃなく口まで暴走し、通行人や客に無礼千万を働くこともある始末でした。料金表はあってなきがごとしもの。1850年の料金表によると、旧市内の中なら1時間に1グルデンでそれを越すと30分につき20クロイツァーでしたが、御上りさんでも来ようものなら片っ端からぼったくりです。ただし、流暢なウィーン弁を話す客には絶対に料金を吹っかけなかったのだとか。まったく油断も隙もならない連中ですね。

ところで、フィアカーが昔のタクシーだとすれば、昔日のバスや電車にあたるのは乗合馬車です。こちらは料金が安く、市内なら10クロイツァーか20クロイツァーでした。ただし、下の右側の絵を見てもわかるとおり、乗り心地はサイテーです。遠距離用には、急行の駅馬車というのもありました。しかし、ただでさえ粗野な走りの馬車がさらに急行となると、どんなことになるかは火を見るよりも明らかです。1848年9月21日には、「無法者の御者が2匹の犬をひき逃げしたことにキレtてウィーン市当局が交通警察にがなりたてた」という記録まで残っていますよ。そういえば、モーツァルトが若死にしたのも、ひょっとするとこの荒っぽい馬車の旅に揺られすぎたせいかも知れませんね。

乗合馬車 乗合馬車の客席
乗合馬車の走る様子 客席を拡大すると...

さて、のどかな時代(?)のウィーンには、もっとひどい乗り物もありました。それは、輿です。輿担ぎはゼッセルトレーガー(Sesseltraeger)と呼ばれ、遠くから見てもわかるように赤い服(ウィーンの場合)を着て、2人一組で仕事をしていました。料金は市内で14クロイツァーと安く、1日貸切でも1グルデン30クロイツァーです。しかし、安いながらも馬に負けじと、疾風のように走りまわりました。ただ、そうそういつでも客があるわけではないし、雨が降ればずっと酒場で待機でしたから、輿担ぎの1日の大半はたいてい飲酒か賭け事に費やされ、そちらのほうが本業というケースも多かったようです。おかげで、この人たちはウィーンで最下層に属すハメになりました。また、輿担ぎは時として追い剥ぎに化けることもありましたから、マトモな市民は決して近寄らなかったそうです。ついでながら、ウィーンの輿担ぎの営業許可が初めて出されたのは1703年ですが、そのときの法令では、「病人、召使い、下賎の者、およびユダヤ人を乗せてはならない」とされていました。しかし、アテにしていた普通の市民は怖くて乗れなかったわけですから、輿担ぎは1848年あたりから徐々に姿を消していきました。

ウィーンの輿運び ザルツブルクの輿運び
ウィーンの輿運び(右の2人) ザルツブルクの輿運び

しかし、ぼったくりのフィアカーあり、暴走する急行駅馬車あり、追い剥ぎまがいの駕籠屋ありと、19世紀のウィーンで交通機関を使うのは、本当に勇気のいることでした。そして、今のウィーンの市電、バス、タクシーはなんと良心的なのでしょう。やっぱり人間というものは、ダメなようでもそれなりに進歩しているのでしょうか?


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