日本に黒船が来たとき、人々は欧米人の図体が大きいのに驚いたといいます。それで、誰の発案かわかりませんが、日本は外国船からよく見える場所に相撲取りを並べて「こっちだって大きいぞ」と誇示してみせたそうな。しかし、当時の西洋の人間がみな巨体だったかといえば、そうでもなかったようです。
オーストリア南東部にあるシュタイアーマルクで1885年に発行された「軍事統計年鑑」によると、その年グラーツ市の男性の10.2%が「身長の低すぎ」を理由に、徴兵検査を失格となりました。当時の基準では、「兵員の最低身長は155.4cmを下回るべからず」となっていたからです。また、この地方にはドイツ系とスロヴェニア系の人々が住んでいたのですが、統計ではドイツ系の人々のほうが小さいということになっています。その結果、シュタイアーマルクのちょっと南にあるスロヴェニアのマリボール(ドイツ名でマールブルク)で身長を理由に兵役を免れた人は7.1%、もっと南のリュブリアーナ(ドイツ名はライバッハ)では3.7%と、スロヴェニア系住民の比率が高い都市ほど、身長を理由に徴兵を免れる人の比率が小さくなっています。
当時のシュタイアーマルクやスロヴェニアでは、大体160cmから170cmの人が中背と言われていました。1885年の各都市における小柄、中背、長身の分布は下記の統計のおりです。これを見ると、平均的な背の高さに属する人はいずれも町でも約6割で、ほぼ同等です。しかし、160cm未満の人はグラーツがいちばん多く、170cm以上の比率はマリボール、リュブリアーナと南にゆくほど高くなっています。 |