オーストリア散策 > エピソード > No.001-050 > No.007 |
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今日はくだらない話です。先日ハプスブルク家に関する本を読んでいたら、「チロルを継承した頃、同家の関係者は、さながら化け物の集まりのようだった」という記述を見つけました。表現が大袈裟だとは思いますが。でも、オーストリアの帝政末期のシシー(ヴィッテルスバッハ家出身)とかルドルフ皇太子は美形でしが、15世紀初めに生まれたフリードリヒ3世は確かにブオトコです。そこで一度、ハプスブルク家の人々肖像画を並べてみたところ、あら不思議、大体200年ごとに皇帝の顔つきがかわっているではありませんか。 |
ルドルフ1世 (1218-1291) |
フリードリヒ3世 (1415-1493) |
マクシミリアン1世 (1459-1519) |
参考:フィリップ美公 |
まず上の4人をご覧下さい。初代のルドルフ1世はなかなか精悍な顔をしていますが、のちの記述によると、これはだいぶ手心を加えた肖像画なのだそうです。実際にはもっと鼻が大きくて、下唇もだいぶ出ていたのだとか。この特長は100年以上してのちのフリードリヒを経て、その息子のマクシミリアン1世にも受け継がれます。そしてこのマクシミリアン1世がブルゴーニュの麗しき姫、マリーと結婚、ここで初めてハプスブルク家に美男子が生まれました。上のいちばん右側にあるフィリップ美公(この人は皇帝になってません)です。この美形の息子はわずか28歳で他界してしまいましたが、のちのハプスブルク家の顔に大きな影響を残すことになります。 |
カール5世 (1500-1558) |
フィリップ2世 (1527-1598) |
ルドルフ2世 (1552-1612) |
レオポルト1世 (1640-1705) |
ルドルフ1世から約200年後、いよいよハプスブルク家の人々の顔にひとつの異変が起こります。上のいちばん左にあるカール5世の肖像をご覧ください。この皇帝は、早逝したフィリップ美公とカスティリア王国の血を引くファナの間に生まれた人です。その顔をよく見ると、ハプスブルク家伝統の大きな鼻はだいぶ小さくなっています。また、骨ばって四角だった顔の骨格も、ほっそりと面長になってきました。残るは突き出た下唇だけです。この新しい顔の特徴はここからまた200年ほど受け継がれてゆくことになりました。 |
カール6世 (1685-1740) |
マリア=テレジア (1717-1780) |
ヨーゼフ2世(右側) (1741-1790) |
フランツ=ヨーゼフ (1830-1916) |
さらに200年すると、最後のトレードマークだった下唇も小さくなり、顔にはちょっと丸みもでてきました。育ちのよさそうなカール6世と精悍だった初代のルドルフ1世を比べると、かなり隔世の感がありますね。マリア=テレジアと父のカール6世の顔もどこか共通点があります。そういえば、マリア=テレジアと結婚したロートリンゲン公フランツ=シュテファンも似たような顔をしていました。この面立ちはその息子たち(上の右から2番目の肖像画にあるヨーゼフ2世とレオポルト2世)にもしっかりと受け継がれてゆきます。その後は四角い顔の神聖ローマ皇帝フランツ2世(オーストリア皇帝としてはフランツ1世)とフェルディナント1世を経て、最後は美男子のフランツ=ヨーゼフに至りました。 |
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