オーストリア散策エピソードNo.001-050 > No.005
前に戻る


鷲が語るオーストリアの栄枯盛衰
line


オーストリアの紋章といえば「鷲」が目印ですが、この鷲、時代を経るごとにいろいろと変わっています。そして、その変化にはオーストリアの国情がけこうリアルに現れています。

1836年の紋章
A. 帝政時代(1836年)

まず左Aの図はオーストリア帝国時代の紋章です。これは1836年に描かれたものですが、まあなんとご領地の盾のマークがたくさん入っていることでしょう!今のハンガリー、チェコ、スロバキア、南チロル(現イタリア領)、スロベニア、クロアチアをはじめとする中欧一帯には「すべてハプスブルク家の息がかかってますよ」といわんばかりです。また、鷲は頭が二つもあって、片方の足(手?)には剣と王様の杖、もう片方の足には王冠をもっています。ナポレオンを追い出してから25年ほど経って、だいぶ元気が出てきたようです。

1868年の紋章
B. 二重帝国時代(1868年)

続いてBの図はオーストリア=ハンガリー二重帝国時代の紋章です。ハンガリーの独立は認めたくないけど、それを一概に拒否するわけにもいかないし、という妥協の産物だった変な国の時代です。オーストリアの紋章は向って左側で、ご領地の盾はすべて姿を消しました。自信喪失?また、向って右側にあるハンガリーの紋章は、オーストリアの鷲と大きさを張り合っています。しかし、鷲はこれに負けじと相変わらず2つの頭で睨みをきかせ、剣や王冠もしっかりもったままです。こうなればほとんど意地ですね。ところで、ハンガリー王国の紋章の上にある十字架が妙に曲がっているのは、なぜなんでしょう?

1915年の紋章
C. 帝政の最後(1915年)

さて、Cの図は帝政が崩壊する直前の1915年に描かれた紋章です。てっぺんの王冠は小さくなってきたし、鷲のアクセサリーも減って、だいぶ参ってきたな、という印象を与えますね。それでも、剣と王様の杖と玉のような王冠だけはまだ鷲の所有物です。かなりのやせ我慢という気はしますが。

1919年の紋章
D. 第1共和制時代(1919年)

Dの図は帝政が終わって共和制に入った時代の紋章です。ついに鷲の頭はひとつになってしまいました。また、鷲が足につかんでいた剣と王冠も、貧相な麦3本とハンマーに格下げです。ホント、1836年の紋章に比べると、身ぐるみ剥がれたという印象を否めません。実際、このときのオーストリアは第一次世界大戦に負けて、気の毒なほどボロボロでした。そしてこの10年後にはクレディット=アンシュタルト銀国が倒産し、世界恐慌に突入です。

19334年の紋章
E. ファシズムの時代(1934年)

Eの図はオーストリアが右傾化して第二次世界大戦に巻き込まれる運命をたどり始めた頃の紋章です。相変わらず貧乏なので、鷲の持ち物は何もありません。しかし、鷲の頭は再び2つとなり、ついでにその頭の後ろには金色の大きな丸まで描かれています。この金色の丸は御国再興の希望なんでしょうか?それとも戦争で天に召される人々の天使マークでしょうか?

1955年の紋章
F. 戦後の独立時(1955年)

最後に、Fの図は戦後の1955年にオーストリアが独立を果たしたときに制定された紋章です。今度の鷲は足に鎌とハンマーをもっています。今度こそマトモな国を再建するぞ、という意志の表れでしょう。そして、その足には切れた鎖がります。もう皇帝や総統を頼ろうとはせず、国民が自分の自由意志で前に進まなければいけないという義務感が出てきたのでしょうか?この年、オーストリアは永世中立国にもなりました。さて、この先のオーストリアの紋章はどう変化してゆくことでしょうね。



line

前に戻る