オーストリア散策エピソードNo.001-050 > No.004
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ドナウの名付け親はケルト人
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オーストリアのシンボルといえば、なんと言ってもドナウ川でしょう。あの有名な「美しき青きドナウ(Auf dem schoenen blauen Donau)」はこの国の第2の国歌といわれています。では、ドナウ(Donau)の語源は何でしょう?実はこれ、ケルト語で単なる「川」を意味する「donu」に語源をもっているのです。一般のオーストリア人は知っているのでしょうか?ついでながら、ドイツを代表する川である「ライン川」の語源も「rin」というケルト語で、その意味は単なる「流れ」とか「川」です。これがその後Rheinという発音に変化し、現在に至るわけです。また、フランスにもローヌ(Rhone)川とかランヌ(Renne)川という、ケルト語を思わせる名の川がいくつかあります。

ケルト人は、現在のヨーロッパの広い地域にいた先住民です。オーストリアでは湖上の住居で知られるハルシュタット文化(B.C.800-B.C.400)を築いたことで有名ですね。このケルト人たちはその後今のオーストリアを中心とする広い範囲にノリクム王国という国を作りました。しかし、この国はB.C.15-B.C.9にローマに征服され、西部のラエティア、中央部のノリクム、東部のパンノニアの3地方に分割されます。そして、ローマ人がはっきりとこの土地から引き上げて行ったのは、A.D.500年頃でした。それから、やっとゲルマン人の登場です。A.D.500-A.D.700に東方からバユバール族とアレマン族がやってきました。バユバール族(語源はボヘミアの人たちという説があります)は、オーストリアのほかにドイツの南部にも住み着き、その民族名は今の独バイエルン(Bayern)という地名の語源にもなったと言われます。一方アレマン人はオーストリアの最西部、ドイツ南西部、およスイスに住み着きました。そのため、隣接するフランスのことばでは、ドイツ人のことを今でもalleman(アレマン)と言います。

ところで、ケルト人はドナウ川の名前のほかにも、オーストリアに多くの足跡を残しました。例えば、チロルの古い町、Hall in Tirol (正式名称はSolbad Hallです)や、ザルツブルクの南にあるHalleinという地名は、いずれもケルト語で「塩」を意味する「hal」ということばを含んでいます。そして、事実両方の町とも、付近で岩塩が採掘できました。また、先に述べたハルシュタット(Hallstadt)も地名に「hal」が入っています。

余談ですが、ゲルマン人が入る前のオーストリアには、スラブ人も来ていたようです。その名残りを示す地名の代表例は、同国第2の都市グラーツ(現在は同国東南部・シュターアーマルク州の州都、人口約24万人)でしょう。これはスラブ語で小さな城とか要塞を意味する地名です。今のロシアのボルゴグラードとか旧レニングラードの「グラード」と同じ語源ですね。

ローマ時代に分割されたケルト人のノリクム王国
ノリクム王国の地図

ラエティア: RAETIA I(左の黄色の部分), RAETIA II(やや左のオレンジ色の部分)
ノリクム: NORICUM RIPENSE(水色の部分), NORICUM MEDITERRANEUM(緑色の部分)
パンノニア: PANNONIA(右側の薄いオレンジ色の部分)



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