オーストリア散策書棚 > No.41
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バイエルン王国の誕生
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バイエルン王国の誕生


出版元 山川出版社 発行 2003年2月20日(初版)
著者 谷口健治 体裁 19cm×13.2cm
ページ数 254ページ


目次

●第一章 内政改革の始まり - 傍流からの新王朝/連隊長から連邦君主へ/啓蒙主義官僚の復活 ・・・ P.3
●第二章 最初の外交的努力 - 第二次対仏同盟への参加/フランスへの接近 ・・・ P.29
●第三章 近代統治機構の形成 - 中央政府の改革/領邦体制に囚われた中央官庁/下級官庁の改造 ・・・ P.40
●第四章 領土再配分と宗教問題 - 啓蒙主義的宗教政策/カトリック教会への統制強化/財政赤字と修道院解散 ・・・ P.58
●第五章 国家官僚の変貌 - 君主の使用人から国家の使用人へ/服務基本法の制定/縁故採用から国家試験へ ・・・ P.81
●第六章 軍備増強と徴兵制度の導入 - 低迷するバイエルン軍/軍政改革の努力/1805年の徴兵制 ・・・ P.101
●第七章 ナポレオンへの協力 - フランスとの同盟/ライン連邦への参加 ・・・ P.117
●第八章 近代国家体制の確立 - 18008年の憲法/進む統治機構の改革/宗教体制の安定に向けて/軍事制度の再編成 ・・・ P.133
●第九章 累積債務と財政改革入り組んだ財政制度/近代財政制度への転換/債務処理機構の設置 ・・・ P.165
●第十章 貴族の優遇と圧迫支配階級としての貴族/管理される貴族身分/領主制と裁判権 ・・・ P.186
●第十一章 ナポレオン体制を越えて - ナポレオンの没落/内政改革時代の終了 ・・・ P.210
●終わりに ・・・ P.235
●あとがき ・・・ P.239



ひとこと


バイエルンが王国になったのは1806年と比較的新しいのですが、そこを治めていたヴィッテルスバッハ家は祖先をバイエルン辺境伯ルイトポイト(907年没)まで遡ることができ、実は10世紀のグントラム(930年頃-985年か990年頃)を祖先にもつハプスブルク家よりも古いくらいです。歴史が古くていっぱい時間があったわりには、ずいぶん近代化が遅れたようですが。

今回の本は直接オーストリアの歴史を扱った文献ではありませんが、田舎王国バイエルンとトホホ帝国オーストリアの内情には共通したことがたくさんあります。例えば宮廷や軍隊の役職がお金で売買されていたところや徴兵が抜け穴いっぱいのザル制度だったところはオーストリアでも同じだったし、どんなにトホホな時代でも少しはマトモな人材がいて、しかもそうした人材がしばしば外国出身だったというところも似ています。よってこの本は、オーストリアが近代化を目指していた頃がどんな感じだったのかを推し量るための資料にもなると思います。    

それと、私は個人的に思うんですけど、この本は今の日本を現代国家にするための参考にもなるんじゃないでしょうか?日本は途中で国の進歩が逆流しているので、ここから一気に世界の最先端の国家スタイルに追いつこうとするにはずいぶんムリがあると思います。まずは利害バラバラ、やる気ヘロヘロ、財政ボロボロから始まったバイエルン王国よりマシな国を作るところから始めたほうが身の丈に合っているような気がするのですが。最初から欲張ってはいけません。    

なお、この本ではバイエルン側の目で見たオーストリアの歴史の数シーンも描いてあるのですが、見る人が見ればフランスやプロイセンにボロ負けしていたオーストリアもそれなりの大国だったんですね。オーストリアから見たらバイエルンは何度もチロルを分捕りに来た油断のならない相手となっていますが、バイエルンのほうにはそういった自覚などあまりなく、むしろオーストリアのほうこそ自分たちの本丸をいつ陥落させるかわからないという警戒感をもっていました。たまには反対側からオーストリアの歴史を眺めてみるのも勉強になりますね。そうそう、日本だって中に住んでいる人は資源のない小さな島国にしか思ってませんが、外から見たら外貨を溜め込んだ大国です。この意識のズレはどこかで直しておいたほうがいいでしょう。    



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